東日本大震災が生み出した楽曲やアルバムは数多いが、僕が知る限り音楽家らしい仕事となっている作品は、この「わが美しき故郷よ」をおいて他にない。突然今までロクに口もしてこなかった主張を声高に叫ぶあまり、ほぼ音楽にもなっていない作品を世に垂れ流す、寄せ集めのネームバリューだけを頼りに義捐金集めのスーパーユニット、まあ支援の仕方は人それぞれだろうし、別にそれを否定はしないが、過去の作品や蓄積された名声だけを武器にせざるを得ないというのは、つまりその音楽家はもう現役ではないのだろうなと思うし、ある意味震災をきっかけにして生まれた曲やプロダクトを聴き比べれば、今現在のそのミュージシャンの「音楽家としての」技量や姿勢が浮き彫りになってしまう、そんな気がする。
話を戻して、気仙沼出身の畠山美由紀は、シンガーとして、ミュージシャンとして、あの震災を当事者として見つめながら、この「わが美しき故郷よ」というアルバムを紡ぎだした。昨年の暮れのリリースだが、昨年世に出たアルバムの中では僕が一番心を動かされたアルバムである。
全12曲中に、スタンダードのカバーが5曲入っている。カバー粗製濫造の昨今では極めて珍しく、このカバーの曲たちがアルバム一枚の中で実に有効な存在となっている。畠山美由紀自身の心の内にある美しい故郷と、それをすべて壊してしまったあの震災、失われたたくさんの命、それでも明日のために持ち続けようとする希望、それぞれが12曲の中で絶えず行き来するのだが、懐深い、少し湿り気のあるカバーの名曲群に負けない声で歌い上げられることによって、テーマに起因して、ともすればアルバム全体に漂いがちな悲壮感を払拭し、前向きな作品へと効果的に演出しているのだ。
もうひとつの聴き所は、アルバム同題の朗読〜楽曲へと流れる部分。朗読では、目を閉じて聴いていて、こんなに風景がぱっと目の前に広がっていくような言葉の群れを聴いたのはとても久しぶりな気がする。そして、その言葉の群れが美しい分、彼女をはじめとして、この震災で故郷の風景を失った人々の心情が、どんな新聞記事よりも、どんなテレビの映像よりも伝わってくる。楽曲に移り、言葉にメロディがつくことで、表現の幅はさらに増し、眼前に広がった風景はさらにリアルさを増し、息を呑む。
そして何より、彼女のこれまでの作品群をはるかに凌駕するボーカルの表現の幅広さを、このアルバムに感じる。今後の作品も楽しみになる一枚であった。
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