「わが美しき故郷よ」(2011)
「わが美しき故郷よ」畠山美由紀 2011

東日本大震災が生み出した楽曲やアルバムは数多いが、僕が知る限り音楽家らしい仕事となっている作品は、この「わが美しき故郷よ」をおいて他にない。突然今までロクに口もしてこなかった主張を声高に叫ぶあまり、ほぼ音楽にもなっていない作品を世に垂れ流す、寄せ集めのネームバリューだけを頼りに義捐金集めのスーパーユニット、まあ支援の仕方は人それぞれだろうし、別にそれを否定はしないが、過去の作品や蓄積された名声だけを武器にせざるを得ないというのは、つまりその音楽家はもう現役ではないのだろうなと思うし、ある意味震災をきっかけにして生まれた曲やプロダクトを聴き比べれば、今現在のそのミュージシャンの「音楽家としての」技量や姿勢が浮き彫りになってしまう、そんな気がする。

話を戻して、気仙沼出身の畠山美由紀は、シンガーとして、ミュージシャンとして、あの震災を当事者として見つめながら、この「わが美しき故郷よ」というアルバムを紡ぎだした。昨年の暮れのリリースだが、昨年世に出たアルバムの中では僕が一番心を動かされたアルバムである。

全12曲中に、スタンダードのカバーが5曲入っている。カバー粗製濫造の昨今では極めて珍しく、このカバーの曲たちがアルバム一枚の中で実に有効な存在となっている。畠山美由紀自身の心の内にある美しい故郷と、それをすべて壊してしまったあの震災、失われたたくさんの命、それでも明日のために持ち続けようとする希望、それぞれが12曲の中で絶えず行き来するのだが、懐深い、少し湿り気のあるカバーの名曲群に負けない声で歌い上げられることによって、テーマに起因して、ともすればアルバム全体に漂いがちな悲壮感を払拭し、前向きな作品へと効果的に演出しているのだ。

もうひとつの聴き所は、アルバム同題の朗読〜楽曲へと流れる部分。朗読では、目を閉じて聴いていて、こんなに風景がぱっと目の前に広がっていくような言葉の群れを聴いたのはとても久しぶりな気がする。そして、その言葉の群れが美しい分、彼女をはじめとして、この震災で故郷の風景を失った人々の心情が、どんな新聞記事よりも、どんなテレビの映像よりも伝わってくる。楽曲に移り、言葉にメロディがつくことで、表現の幅はさらに増し、眼前に広がった風景はさらにリアルさを増し、息を呑む。

そして何より、彼女のこれまでの作品群をはるかに凌駕するボーカルの表現の幅広さを、このアルバムに感じる。今後の作品も楽しみになる一枚であった。
| 2000-(Japanese) | 2012.01.14 Saturday | comments(0) | trackbacks(0) | このエントリーを含むはてなブックマーク
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立川談志「談志百席」
評価:
立川談志
コロムビアミュージックエンタテインメント
¥ 19,950
(2005-12-21)

談志師匠が亡くなった。

彼は、「落語とは人間の業の肯定である」と言った。人間というのは愚かで、馬鹿馬鹿しくて、でもそれを包んで肯定して、笑いに変えるのが落語だと、こういうことなのだろう。その言葉を聞いて、僕は膝を打ち、そしてもっと落語の世界が好きになった。「人が酒を呑むのは酔ってどうしようもなくなりたいから飲むのではなく、自分がどうしようもない存在だと確認するために呑むのだ」というのも、ある意味それに通ずるマクラでの名言。

人間の業を肯定するのは、並大抵のエネルギーでは出来るもんではない。だから、そういう一人芸は必ず、狂気だ。その舞台上の狂気を、ある種の緊張感を持って見守る。「伝統芸能」の上に胡坐をかかずに戦える噺家が、またいなくなってしまった。人間の業は、時代と共に姿を変え、形を変える。それを肯定できる現代性を備えているのが、落語という芸能の本来の形のような気がするのだが、それが「古典」の姿に凝り固まり、くだらない様式美に固執する一部の落語ファンには嫌われた、らしい。

それでも、立川談志は、志の輔、談春、談笑等、そのイズムを充分すぎるほどに受け継ぎ、その上で個性があふれ出て止まらない狂気たちを世に送り出した。けれども、その後ろにあった「家元」の存在感は、もう、ないのだ。

どうか、安らかにお眠りください。今夜は、少し早い「芝浜」を聞きながら寝ます。

| 1990-99(Japanese) | 2011.11.23 Wednesday | comments(0) | trackbacks(0) | このエントリーを含むはてなブックマーク
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「ヒューマン」(2011)/Live Repo@秋葉原秋田犬(2/19)

 「ヒューマン」日食なつこ 2011

iTunes 配信限定

この曲の「若さゆえの不遜な感じ、尊大な感じ」がとても好きだ。

何回言っても伝わらないで 使いこなせもしない言葉の爪
手入れもせずに振りかざして つけた傷跡を消す薬はない

他のやつらは蝶や魚や鳥になって
身軽に生きることに成功してるのに
どうして俺だけ人間にしたんだい
1つの正義さえ続かないよ

歌詞リンク

僕から比べたらとてもとても若いこの作者は、何かがあってこんな詞を書いたのだろうか。それにしても、人間の業のようなものを、最低限の分かりやすく飾られていない言葉で切り取っている。いわゆる「大人」がこうした人生賛歌を書くときに、どうしても手馴れた薄っぺらい歌詞になってしまうのとは対照的である。そこが、冒頭に書いた「不遜」で「尊大」とも評せる所以である。でも、その時期の自分をきちんと完結した形で表現することはなかなか出来ないのだ。いわゆる売れてしまう歌ではないかもしれないがが、ソングライターとしての確固たるこの人なりの方向を提示されているようで、気持ちが良い。

公開されている音源はいまのところピアノの弾き語りだけだが、唄とピアノがちゃんと一体になっている感じ、唄とピアノの空気が一個な感じがすごく伝わってきて、飽きない。どっちも大事にしているというか、どっちも過剰に出たがっていないけれども、どっちもちゃんと主張している感じ。ライブではわりとそういう感じが出やすいけれども、音源に記録するとそこがとたんにバラバラになるミュージシャンも多い中で、世に出る極めて初期の音源がこれだと、この先本当に楽しみだ。

メジャーな商業音楽としてみれば、荒削りだし、志高くして〜の印象は否めないけれど、それゆえに輝く曲、というのがたまにあって、だから感覚としては椎名林檎の1stアルバムを聴いた時の印象にも近い。至らぬ点は多々あれど、それでも走りきってしまう気持ちのよさ。トイレの唄や老いらくのラブソングもいいけれど、ミュージシャン人生のマイルストーンに立ち会えることもあるから、音楽を聴くのはやめられないのだ。

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で、その後東京ツアー中だということを知って、2/19の秋葉原のライブを観に行ってみたのだが、すごかった。やられました。聴いていてカロリーを消費して汗が出る弾き語りっていうのを久しぶりに観ました。

上でもちょっと書いたけど、唄もうまくて楽器もうまい人が、足し算みたいにしてうまい、とならないのが弾き語りの良さなわけで。楽器はずっとうまい人がゴマンといるなーっていう人が、すごい弾き語りで人を感動させうるというのは、実際あると思う。んで、ミスって、ハプニングもあって、でもそれが弾き語りっていう。

この人が実際に弾きながら歌っているのを観たら、音源に固められた1個の世界だったものが、立体的に迫ってくる感じ。レコーディングされたものを聴くのもいいけど、ライブだとさらに奥行きがあって体に響いてくる。それに、演奏中の佇まいが他の誰にも似ていない。流れるように、撫でる様にピアノを弾くタイプではないけれども、その分細身の体から力がみなぎるのがすごくよく分かる、芯のある、筋のあるパワフルなミュージシャンであった。この先、どんな曲を生み出して、どんなライブを聴かせてくれるのか、とても楽しみだ。

| 2000-(Japanese) | 2011.02.20 Sunday | comments(0) | trackbacks(0) | このエントリーを含むはてなブックマーク
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